名文メモブログ#政治と文学

‪@meibunnmemo ‬ツイッターしてます

そんなに政治を難しく考えなくてええんちゃう?大学生による大学生のための政治入門

僕は政治が大好きである。勘違いしてほしくないが安倍政権が好きとか特定の議員が好きとかではない。また週刊誌が追いかけるような政治ゴシップも関心の外だ。

 

話はそれるがゴシップと言えば昭和の政治家に豪傑・三木武吉という人がいた。その人は妾が何人もいて他の議員に国会で「妾が四人がいるとはけしからん!」と指摘されると

 

「私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。
5を4と数えるごとき、小学校一年生といえども、恥とすべきであります。
1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、
役には立ちませぬ。
が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」

と豪快に跳ね飛ばした男である。それに比べたら平成のゴシップはなんとみみっちいものか。

 

話を戻すと僕は大学生にもっと政治に関心を持って欲しいと思っている。しかし政治は複雑だ。難しい。はっきり言って僕も勉強中だ。しかし勉強中の身だからこそ、これから知りたいと思う人の手助けになるのでは思い、書くことにした。

 

とりあえず「保守とリベラル」というテーマで書きたい。これがわかればある程度、すっきりする。(と同時に迷路に迷う)

 

みなさん、難しいことを忘れて学級会、クラス会、部活会議、家族会議を思い出して欲しい。ぼっちだったという人でもネトゲで何人かのプレイヤーと組んだときを思い出して欲しい。

 

人が集まり、何かを決めるとき「新しいことをしたい急進派」と「今までのやり方を大切にする保守派」がいませんでしたか?それを政治の世界では前者を「リベラル」、後者を「保守」と呼ぶと考えてください。(学術的定義はまた少し違います。専門家の皆さん、ごめんなさい)

 

これが歴史のなかで起こったときの出来事を「フランス革命」と言います。

 

フランス革命は1789年に起こった「アンシャン・レジーム(旧制度)をくつがえす革命」であり、1793年には現在のコンコルド広場でルイ16世が処刑されるなどした非常に急進的な革命だ。

 

 

このフランス革命に対し、批判を行ったのがイギリスの政治家エドマンド・バークだ。このバークが「保守」の祖とされている。

 

アイルランドで法律家の息子として生まれたバークは文学に興味を示しつつも、やがて政治の道を歩む。

フランス革命の狼煙として有名なバスティーユ牢獄の襲撃の直後、バークは「フランス革命省察」という冊子を出版します。

そこでバークはフランス革命に対してこれでもかと激しく批判します。もとはフランスの青年ドゥポンが「自由の闘士」として名高いバークにフランス革命を擁護してもらおうと依頼したのが「フランス革命省察」執筆のきっかけだったというから、ドゥポンからすると目が飛び出るほど意外だっただろう。

 

ものすごくざっくり言うとバークは「歴史や慣習を無視した、人間の理性のみを信じて行われた革命など失敗するに違いない。」と批判したのだ。

まるでYouTuberなどに嫌悪感を示す居酒屋のおっさんみたいな言い分だが、バークのすごいのはこのとき、フランスは革命の成功に酔いしれていたときであり、まだロベスピエールの恐怖政治が始まっていない時期にフランス革命を批判したのである。その勇気にはただただ賞賛しかない。

 

またバークは革命が嫌いなのではない。なぜならバークはアメリカ市民革命を支持しているのだ。それはアメリカの歴史のなかで培った「自由」を市民たちが確立するための革命だったからだ。一方のフランス革命は、歴史を無視した革命だとして批判したのだ。

 

例えば堅物サラリーマンのお父さんが、突然「YouTuber一本で生きていく!」と言い、会社を辞めたらどうだろう。お母さんは発狂し、娘は泣きながら「お父さんやめて!」と止めるだろう。ある意味、フランスは突然、YouTuberになると決めたお父さんかもしれない。一方でアメリカは実は下積みをコツコツとしていたHIKAKINみたいなものだろうか。

 

ここまでまとめると保守とは「歴史を大切にしながらゆっくり社会を良くする派」であり、リベラルは「人間の理性を信じる理想主義、進歩主義者」と言えるでしょう。

 

(付言すると「古い慣習どおりにしろ!」という老害じみた考え方は保守と区別されるとカール・マンハイムは言う。それは伝統主義であり、保守主義との違いは「変化」を受け入れるかどうかだ。保守主義は変化を受け入れ、ゆっくり対応するのに対し、伝統主義は変化を嫌う。)

 

一方、リベラルとは歴史的には

1 理性によって因習から個人を解放する「啓蒙」

2 凄惨な宗教戦争からの克服を目指した「寛容」

の二つの精神からなると言えます。

 

 

さて今の日本を振り返ると、今の日本の新聞報道ではリベラルは野党、保守は自民・公明の与党とされています。

 

ここからが非常にややこしいが普通に考えると「憲法9条改正」を掲げている自民党が「リベラル」で、「9条護憲」を掲げる野党が「保守」じゃないの?という気がする。そう思った方、常識的な受け止め方です。

 

これを証明するものとして読売新聞の興味深い記事があります。

 

読売新聞社早稲田大学現代政治経済研究所が2017年7月3日〜8月7日に共同で行った調査結果によると、40代以下は自民党日本維新の会を「リベラル」な政党だと捉えており、共産党公明党を「保守的」な政党だと捉えているという。」

https://www.google.co.jp/amp/s/www.businessinsider.jp/amp/post-106486

 

このねじれたややこしさの原因は「敗戦」にあります。第二次世界大戦の敗戦後、日本はGHQによる占領統治をうけ、日本帝国憲法を改正し、日本国憲法を制定する。このときかの有名な9条が制定されます。

 

僕なりにこのねじれを説明すると「9条」はかなり急進的な条文だということです。

 

昨日まで中国大陸を攻めまくり、アメリカをはじめ世界のほとんどの国々と喧嘩し、同盟国の独伊が降伏しても最後まで戦った国が「武器捨てます!戦争しません!」と言って、これが急進的でないと言えるでしょうか?

 

「かなり急進的な条文を守るリベラル」と「かなり急進的な条文を改善しようとする保守」と言うと少しすっきりしないでしょうか。(と同時に戦後日本の置かれた状況に暗澹とさえするのだ)

 

ここまで「保守とリベラル」、そして「日本における9条をめぐる保守とリベラル」について考察してみました。

 

ちなみに保守はアメリカだと「小さな政府」を志向する立場とされる。なぜなのかはアメリカの歴史を考えてみてください。

 

参考文献「保守主義とは何か」宇野重規 中公新書