名文メモブログ#政治と文学

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1920年代の再来

日経新聞で次のような記事が出されました。

 

「信頼できる」は自衛隊がトップ 本社郵送世論調査

 

「…逆に「信頼できない」が多かったのは国会議員で唯一5割を超えて56%だった。マスコミ(42%)、国家公務員(31%)が続いた。いずれも20歳代以上で「信頼できない」が「信頼できる」を上回っていた。国家公務員とマスコミは「どちらともいえない」が共に4割強だったが、国会議員は32%だった。

マスコミは「信頼できない」と答えた人の割合は70歳以上が20%台だったが、60歳代が34%、50歳代が41%、40歳代が47%で、30歳代では58%と5割を超えていた。18~20歳代は60%と最も多く、若い世代ほど「信頼できない」と答える人が多かった。」

 

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO40237230Q9A120C1905M00?s=3

 

「過去と現代は似ている」と断言するのは歴史を学んでいた者として、安易にするべきでないと思いますが、それでも僕はこの記事を見て1920年代を想起しました。

 

まず上の記事で国会議員が信頼できないとされていますが、政党を信頼できない時代だったのがまさに1920年代です。そしてこの不信感は来るべきアジア・太平洋戦争の伏線にもなります。

 

1920〜30年代の政党政治を分析した新書があります。ちくま新書から出されている「昭和戦前期の政党政治」(筒井清忠)は政党政治の成立から崩壊までを描いた新書です。

 

この著作では政党が国民やメディアの信頼を失い、代わって非政党的な存在である軍部や官僚らが台頭してくる歴史の道筋が鮮やかに描かれています。

 

ここで注目するべきは太平洋戦争への道のりをよく言われる「軍部の暴走」という面だけでなく「政党の信頼失墜」という面からも分析していることです。

 

下は引用です。

 

「田中内閣倒壊に際しては、『政党外の超越的存在・勢力とメディア世論の結合』が見られ、こうした結合がその後も続いたことが、「政党外の超越的存在・勢力としての『軍部』や『近衛体制(新体制)』を導き出すことになったことも忘れられてはならない。それが昭和十年代に拡大再生産されたことが太平洋戦争につながっていったのである。

さらにマスメディアの問題として指摘しておかねばならないことに、マスメディアが政党政治の批判をするばかりで、それを積極的に育成しようという傾向が乏しかったということがある。

いつも「断末魔」とか「末期症状」というような言辞を使った報道ばかりをして、「既成政党は腐敗している」「政党政治では駄目だ」という意識を国民に植え付けた最大のものはマスメディアであった。」(P282)

 

長い引用となりましたが、現代と酷似していると私は感じます。違うとしたら現代はマスメディアさえも信頼を失っていることです。ネットの台頭ゆえでしょうか。

 

今は自民党が一定の支持率を集めていますが、果たしてこの支持が盤石なものか、そして自民党が求心力を失ったらどうなるのか、想像するだけで恐ろしいですね。

 

政党政治への不信感の高まりが軍部や官僚への期待へと変わった戦前期。

現在、欧米では既成政党への失望からポピュリズム政治家や政党への期待が高まっている。しかしこういった政治家や政党がまたしても国民の期待に応えられなかったらどうなるのでしょうか?

 

非政党的な存在が期待を集めるとしたら今の日本では何でしょうか?財界でしょうか。ベンチャーの経営者たちでしょうか。技術者でしょうか。

 

個人的には昨今の落合陽一ブームはこういった背景もあるのではと愚考しています。

 

まずこういった状況の改善のために私が必要と思うことは3つあります。

 

①「一人一人の政治家」を評価するシステムの構築

マスメディアが報じない一人一人の議員のポジティブな面、実績をネットを通して伝え、国民もそれを評価するシステムが必要なのではと思います。インターネットがある現代なら不可能ではないと思います。

 

②国民の政治観の涵養

政治家自身が個々の実績をアピールすると同時に、それを評価する国民の政治観の涵養も必要でしょう。嘘やフェイクニュース、過剰なアピールを見抜く力も必要です。

 

③マスメディアの高度専門化

高度専門化した社会を分析し、それを国民に伝えるのはマスメディアの仕事ではないでしょうか。大手マスメディアはネットでは速さでは必ず負けるのだから、質で勝負するべきだと思います。具体的には大手マスメディアは修士、博士のみ採用ぐらいにするべきだと思います。

 

政党政治を否定し、安易に非政党的な存在に委任するのではなく、政党政治を補完するシステムが必要だと言うことです。ただかなり理想論を振り回しただけだと自分でも思いますが、正直これが限界です。

 

ただ思うのは果たして我々人間がこの社会を制御できるのではあろうか?とも思います。

 

経済成長、震災、原発、安全保障、農業、人口減少、社会保障、教育、雇用、労働環境…あまりに高度複雑化し、相互に絡み合い、スピード感が増してきた現代を人間が分析し、適切な手を打てるのでしょうか。なんだか私には現代社会の問題というのはシン・ゴジラが10体くらい日本列島を同時進行しているようにすら思えます。

 

かなり議論が飛んでしまいましたが、果たして世界や国家はこの大きさでいいのか?疑問です。

 

日経の記事を出発点に様々なことを想起しましたが、日本の未来は険しい道であることは変わらないようです。

 

「日本国中どこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何といったって、何をしたって、仕様がないさ。」
夏目漱石「それから」)