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オペラ《マノン・レスコー》と死について

オペラ《マノン・レスコー》を見た。

プッチーニが起死回生をかけてつくりあげた作品である。

 

恋と政治劇が絶妙に組み合わされた《トスカ》、カルチェ・ラタンを舞台にした《ラ・ボエーム》、儚く死ぬ日本人女性を扱った《蝶々夫人》といった名作を手がけたプッチーニにも不遇の時代があった。

 

プッチーニ1884年に初演をみるも、第二作目の《エドガール》でつまづき、上演を打ち切られてしまった。

 

次はないと覚悟を決めたプッチーニが目をつけたのが小説だった。アントワーヌ=フランソワ・プレヴォの小説である『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』のヒロイン、マノンが人々の心を惹きつける破滅的女性だと確信する。

 

プッチーニを支援するリコルディ社は他社との競合を避け、この原作に難色を示したが、プッチーニはこれに賭けた。結果、大成功であり彼は躍進の階段を駆け上る。

 

マノン・レスコー》の最後のシーン、ニューオリンズの荒野でデ・グリューと恋人マノン・レスコーが絶叫し、愛を誓いながら飢えて死ぬ。しかしマノンは「死にたくない」と叫ぶ。

 

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マノン・レスコー》(2014年2月ローマ歌劇場公演より) Photo:Silvia Lelli / TOR

 

豪華絢爛なイメージの強いオペラにおいて(《アイーダ》や《ドン・ジョヴァンニ》)《マノン・レスコー》の最後の簡素なシーンは戦慄すら覚える。

 

ただ茫漠としたニューオリンズの赤い荒野が延々と続き、無一文の男女が絶望的運命を享受する。

 

ヒロインが「死にたくない」と叫ぶ舌の赤々しい肉を見て、僕は脳裏に「死」というものを強く再考せざるを得なくなった。

 

僕が仮に荒野で一人さまよって死ぬとしたら何を最期に言うのか。

 

あなたが仮に荒野で一人さまよって死ぬなら最期に何を言いますか?

 

赤々しい荒野を見て、死をめぐる連想が一気に脳裏を駆け巡った。

 

入退院を繰り返した僕の幼少期。気管支が悪く、数ヶ月の入退院を繰り返した。どうもうまく生きるのに適してない、と漠然と思った。首の中を貫く喉という棒がうまく機能せず、コヒュー、コヒューと何度も呼吸が妨げられた。白い清潔な天井を見ながら僕は百合のような病床で過ごした。

 

マノン・レスコー》だけではない。

僕はいろんな作品を通して「死の練習」をしてきた、つもりだ。

 

『菜穂子』の穏やかな病死で、『魔の山』の勇敢な戦死で、『偉大なるギャッツビー』の破滅的な死で、『海の上のピアニスト』の沈みゆく死で、『ガタカ』の運命を引き受ける死で、『阿部一族』の自滅的な死で、『夜と霧』の不条理な死で、『うたかたの日々』の溺れゆく甘い死で、『沈黙』の絶望の果ての死で、『塩狩峠』の自己犠牲の愛の死で、『燃えよ剣』の信念の死で、『ボヴァリー夫人』の軽薄な死で、『蝶々夫人』の儚い死で、『パイドン』の知を愛する果ての死で、『女の一生』の救いのない死で、『オテロ』の悲劇的な死で。

 

いろんな方法で死をなぞってきたが、うまくいかない。何度なぞっても砂浜に描かれた花の絵のように、波にさらわれてなかったことにされてしまう。10代で近しい人の訃報を聞いたとき、そのときもどうしようもない足元の寒さを感じた。あれが死なのか。

 

人は死についてわからないから、わからないなりに想像力を巡らせて作品を作り続けてきた。いまだ人は死がわからない。死が怖い。

死が怖い。だからせめて死が何か、それを文字で、映像で、声で訴える作品を一つでも多くでも刻み込まなければならない。

 

福田定一は若いとき、満州に送られる兵士になるとわかったときから死ぬ練習をしたそうだ。

歩いてるとき頭上から岩が落ちてくる、と想像する。お前は死ぬが、それでいいか?と自分に問う。歎異抄を片手に。

 

彼は死ななかった。後に生きて司馬遼太郎と名乗り、国民作家と呼ばれるようになる。

 

そんなことを思い耽ってると《マノン・レスコー》の冒頭部分が頭のなかで流れてきた。

 

「教えてくれ、運命を

そして僕が恋に落ちる女性の面影を

僕が永遠に見つめ崇める神々しい面影を」

「二人で運命に打ち勝ちましょう」

 

彼らはニューオリンズの荒野で飢えゆく運命をどう捉えたのか。

 

悲劇の中で悲劇は繰り返される。デュマ・フィスの名作『椿姫』のヒロイン、マルグリット・ゴーディエがパタンと閉じた本には『マノン・レスコー』と書かれているのだから。