素晴らしき一日
私は文芸部、というものが嫌いだ。各々が己が作品を描き、見せ合い、交換し、果ては文芸誌を編んで、外部に発表すらする。なんておぞましい行為!
物を書くことは花色の犯罪だから。
同じ頃、僕はひっそり誰にも見せることなく、腹のなかを駆けずり回る言葉を捕まえては詩のなかに置いた。刺してくる夕日はドアに音もなく激突し、陰影としてだらと流れる。それが私の、個室。
諦めと溜息と、万年筆の垂直な芯。
ただ僥倖に照らされ、師に恵まれ、私の詩文はしかるべきところで精査された。そしていっときは賞賛の対象とされた。
その途端、僕は書けなくなった。
今思えば、花色の犯罪が外気に触れてしまったからだろう。腐臭に気づかれてもまずい。私は筆を折った。
「筆を折った」とは辞書的な「書くことをやめる」ことではなく「ボキと音がするまで、筆を曲げること」を指す。
とにかく文芸部諸氏が苦手だ。
なぜそんなに容易に、祈りを止めてしまう?
私も馬鹿ではない。人々の創作は、人々のあいだで洗練された。他者に己の作ったモノを見せる勇気。これは虎と対峙するに匹敵する勇敢さだ。だから文芸部諸氏、私はあなた方のような勇気がなかった。
わかっている。しかし僕は祈りをより大切にした。それだけに過ぎない。
多くの人々に勧められた文学部ではなく、私は、法学部に進学した。法と政治。男性の背の強い筋を思わせる、鍛えられた槍。これを私は学ぶことにした。
そして今に至る。
素晴らしい一日は、その嫌いな文芸部諸氏らしき人物と突然会うことになることから始まった。
アメリカ文学に関する講演を聴き終え、建物から出たところ、S氏に話しかけられた。これから新宿のジャズ喫茶に行く。一緒に行きませんか?と。実は詩人くんも呼んでいる。私とSと詩人くんで行きませんか、と。詩人くんと私は初対面。
私は快諾して、それからその詩人くんとやらがきっと苦手な人種かもしれないとすこし腹を括った。S氏に山手線内で、詩人くんの詩を渡された。僕は揺られながらその詩に頰を見つめられたりした。新宿に着いた。
新宿で詩人くんと合流する。ジャズ喫茶に着く。席に座る。
コーヒーから漂う沈黙の香り。
Phineas Newborn Jr. Trioの演奏が泳いでゆく。
何かをきっかけに、シャボン玉が弾けた。
我々は、とにかくいろいろ話した。大まかに言えば本のこと、小説のこと、詩のこと。細かく言えば、それぞれが胸に飼っている蛇のこと。
僕は詩人くんに惹かれた。詩人くんは田村隆一が好きだという。
田村隆一?僕は知らなかった。
詩人くんは田村隆一について訥々と、しかし恍惚と話し始めた。それぞれのコーヒーから豆が潰れた香りがする。田村の詩を片っ端から写経している。田村の絶版の詩を国立国会図書館で印刷している。田村の墓に酒を備える。そして今日来たジャズ喫茶は、田村が常連客だった店。田村が書いたという色紙を、詩人くんは凝視していた。
ほっそりとした身体をしならせて、詩人くんは田村隆一を仰いでいた。
その仄暗いジャズ喫茶の隅で、僕は光を見た。その光の狭間に入りゆく者の姿を。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」
聖書の確か、詩篇の一。
S氏は、愛猫を撫でるようにジャズを語る。
音と言葉に満たされてゆく、夜。
きっと僕らの会話は他から聞いたら、幼稚で、稚拙で、聞くに耐えない。空の上に空を建てようとするような、そんな会話だっただろう。
けど三人の中では違った。経験と感覚に言葉を接ぎ穂して、接ぎ穂して。それらはすべてチャーリー・パーカーのレコードの溝に溶けていった。
あゝ、素晴らしい一日哉。
ここまでの文で「私」と「僕」が撚り糸のように交差してしまった、私も僕も同一だが、しかしそれでも離れてしまった。その裂け目にあるのは、何か。