名文メモブログ#政治と文学

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探し人

大学生のとき、死ぬことばかり考えていた時期がある。味もよくわからなかった。そのときに書き殴った手記を最近、たまたま見つけた。22歳の私はどう考えても限界だった。

 

手記を見つけて、カウンセリングの先生にお礼を言いたいと思った。しかし相談を受けてくださった男性の先生の名前を、忘恩にも忘れてしまいました。

お礼を言いたいのですが、名前がわからないのでなんらかの形で連絡を取りたいです。

その先生にはこのブログのことを伝えたと思います。

 

私は今生きています。仕事に就き、素晴らしい女性と出会い、今幸せですと報告したいです。

 

もし読まれていたらコメントをいただけると嬉しいです。

 

直接お礼に参りたいです。

素晴らしき一日

私は文芸部、というものが嫌いだ。各々が己が作品を描き、見せ合い、交換し、果ては文芸誌を編んで、外部に発表すらする。なんておぞましい行為!

 

物を書くことは花色の犯罪だから。

 

同じ頃、僕はひっそり誰にも見せることなく、腹のなかを駆けずり回る言葉を捕まえては詩のなかに置いた。刺してくる夕日はドアに音もなく激突し、陰影としてだらと流れる。それが私の、個室。

 

諦めと溜息と、万年筆の垂直な芯。

 

ただ僥倖に照らされ、師に恵まれ、私の詩文はしかるべきところで精査された。そしていっときは賞賛の対象とされた。

 

その途端、僕は書けなくなった。

 

今思えば、花色の犯罪が外気に触れてしまったからだろう。腐臭に気づかれてもまずい。私は筆を折った。

 

「筆を折った」とは辞書的な「書くことをやめる」ことではなく「ボキと音がするまで、筆を曲げること」を指す。

 

とにかく文芸部諸氏が苦手だ。

 

なぜそんなに容易に、祈りを止めてしまう?

 

 

私も馬鹿ではない。人々の創作は、人々のあいだで洗練された。他者に己の作ったモノを見せる勇気。これは虎と対峙するに匹敵する勇敢さだ。だから文芸部諸氏、私はあなた方のような勇気がなかった。

 

わかっている。しかし僕は祈りをより大切にした。それだけに過ぎない。

 

多くの人々に勧められた文学部ではなく、私は、法学部に進学した。法と政治。男性の背の強い筋を思わせる、鍛えられた槍。これを私は学ぶことにした。

 

そして今に至る。

 

素晴らしい一日は、その嫌いな文芸部諸氏らしき人物と突然会うことになることから始まった。

 

アメリカ文学に関する講演を聴き終え、建物から出たところ、S氏に話しかけられた。これから新宿のジャズ喫茶に行く。一緒に行きませんか?と。実は詩人くんも呼んでいる。私とSと詩人くんで行きませんか、と。詩人くんと私は初対面。

 

私は快諾して、それからその詩人くんとやらがきっと苦手な人種かもしれないとすこし腹を括った。S氏に山手線内で、詩人くんの詩を渡された。僕は揺られながらその詩に頰を見つめられたりした。新宿に着いた。

 

新宿で詩人くんと合流する。ジャズ喫茶に着く。席に座る。

コーヒーから漂う沈黙の香り。

Phineas Newborn Jr. Trioの演奏が泳いでゆく。

 

何かをきっかけに、シャボン玉が弾けた。

 

我々は、とにかくいろいろ話した。大まかに言えば本のこと、小説のこと、詩のこと。細かく言えば、それぞれが胸に飼っている蛇のこと。

 

僕は詩人くんに惹かれた。詩人くんは田村隆一が好きだという。

 

田村隆一?僕は知らなかった。

 

詩人くんは田村隆一について訥々と、しかし恍惚と話し始めた。それぞれのコーヒーから豆が潰れた香りがする。田村の詩を片っ端から写経している。田村の絶版の詩を国立国会図書館で印刷している。田村の墓に酒を備える。そして今日来たジャズ喫茶は、田村が常連客だった店。田村が書いたという色紙を、詩人くんは凝視していた。

 

ほっそりとした身体をしならせて、詩人くんは田村隆一を仰いでいた。

 

その仄暗いジャズ喫茶の隅で、僕は光を見た。その光の狭間に入りゆく者の姿を。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

 

聖書の確か、詩篇の一。

 

 

S氏は、愛猫を撫でるようにジャズを語る。

 

音と言葉に満たされてゆく、夜。

 

きっと僕らの会話は他から聞いたら、幼稚で、稚拙で、聞くに耐えない。空の上に空を建てようとするような、そんな会話だっただろう。

 

けど三人の中では違った。経験と感覚に言葉を接ぎ穂して、接ぎ穂して。それらはすべてチャーリー・パーカーのレコードの溝に溶けていった。 

 

あゝ、素晴らしい一日哉。

 

 

 

ここまでの文で「私」と「僕」が撚り糸のように交差してしまった、私も僕も同一だが、しかしそれでも離れてしまった。その裂け目にあるのは、何か。

アニメ「よりもい」のひねくれ考察ー愛情への回帰とSNSの切迫感


とある人の勧めでアニメ「宇宙よりも遠い場所」(以下よりもい)を見た。恥ずかしながら私は今までよりもいの存在を知らなかった。

 


宇宙よりも遠い場所」とは南極を指す。女子高生4人が南極観測隊に参加するという目標を立て、困難を乗り越えつつ成長するという清々しいほど真っ直ぐしたストーリーである。なんとニューヨークタイムズも絶賛したという。

 


相も変わらず女子高生に頑張らせたがる風潮はよくわからない。こんなに女子高生を酷使していたらそろそろILOや国連人権委員会の特別報告者に厳重注意されるんじゃなかろうか。

 


それはさておき、「よりもい」を見て絶賛の嵐、「感動しました」の声が多いなか私はひねくれてるので若干のひねくれ考察を記す。もちろん私もよりもいに感動した。一人一人の葛藤、美しい映像美、心にくる描写。久しぶりに良いアニメを見たと感じた。

 


が、敢えて違う方面から考察する。

一つは「人間関係のもつれと愛への回帰」

二つめは「我々を取り巻く現代的切迫感」

 

【以下、ネタバレがあります。ご注意を】

 

 

 

 

 

①人間関係のもつれと愛への回帰

 
このアニメには4人の女の子が登場する。玉木マリ(通称キマリ)、小淵沢報瀬(こぶちざわしらせ)、三宅日向、白石結月である。

 


まずキマリ以外の3人は人間・家族関係に悩んでいる。


南極観測隊員だった報瀬の母は行方不明となりそのまま帰らぬ人となる。報瀬はそんな母の遺品を探すため南極へ行くことを決意する。しかし周囲に南極に行くことを否定され、馬鹿にされ、その結果孤立している。


三宅日向も中学時代の部活をきっかけに人間不信に陥り、高校進学をやめる。コンビニで働きながら高認を取り、大学進学を目指す。


白石結月は幼い頃からアイドルとした忙しく活動していたため友人の作り方がわからないと悩む。個人的に「友人契約書」を三人に渡すシーンはなかなか心にきた。


この中で唯一、友人・家族関係に悩まされていないのはキマリのみである。家族にも愛され、友人もいる。孤立し、いじめられることも、裏切られて高校進学をやめることも、友人契約書を書くこともない。


しかしだからこそ三人の孤独・悩みを受け入れ、愛を回復する役割を担っているのだろう。作中で他の三人が自らの苦しみを吐露するとき、それを抱きしめて受けとめたのはキマリである。


この4人は並列に書かれているようだが、決してそんなことはない。むしろ非対称的であり「愛に溢れたキマリ」と「愛に飢えた三人」という構図すら完成するのである。


その意味で、キマリは聖母マリアのような役割を担う。

が、そのキマリももちろん神でも聖母でもなく、人間である。そのことについて見ていく。

 


②我々を取り巻く現代的切迫感


さてそのキマリも冒頭、突然泣き叫ぶシーンがある。コミカルに描かれているためあまり深刻さは感じないが、私は一見して異様なものを感じ取った。


まずキマリの高校二年生の朝が始まる。部屋の片付けをしようとしたキマリは手帳を見つけ、自身が高校一年のときに書いた「高校生になったら何かを成し遂げる」というメモを発見する。


何も成し遂げてないことに気づいたキマリは突然大声で泣き出し、母親が驚くのである。


なぜ愛され育ったキマリが泣く必要があるのか?なんの飢餓も、苦しみもないではないか。高校生活を楽しめばいい。が、どうもキマリは部活等はやっていないようである。(考えればこれも不思議である。まず何かを成し遂げたいなら部活等に入ればよいのに)


そしてその直後、一瞬だが高校の玄関に展示されたガラス張りの多くのトロフィーが映る。おそらくキマリの高校の生徒たちがもらったものだろう。皆さんの中学や高校の玄関にもある方は多いかと思う。


これがキマリの心象風景というものではないだろうか。つまりトロフィー=誰かに認められたいという強い承認欲求が確認される。


ここまで強い承認欲求は何によってもたらされるのか?


私の結論は「インターネット・SNS」である。Twitterは正確にはSNSには該当しないらしいが、便宜的にSNSに近いものとして扱う。

 


我々は今まで以上にインターネットという劇場で「見る・見られる」存在となり、他者の目を内在化しやすい傾向にある。同世代の他者の活躍を見、「私も何かしなくては!」という切迫感が押し寄せてくる。あるいはその理想に届かず、どうしようもない自己嫌悪すら陥る。(そういう人はSNSをやめればいいと思うが)

 


このような他者を見、他者からの視線を強く内在化したのがキマリではないだろうか。彼女の泣くほどの切迫感はここにあるというのが私の考えである。

 


実際、四人の女子高生たちは南極に行って何をするかというと「女子高生観測員」という売り文句で南極観測を動画配信(おそらくYouTubeのような)をするのである。こうしてキマリは「見る者」から「見られる者」への転身を遂げた。(そう言った意味でアイドルをやっている白石結月が加入したのは何かまた意味が見出せそうである)

 


たしかにキマリがSNS等をやっていない可能性もあるし、スマホやインターネットに溺れているシーンもない。が、だからといってそういったものを全く見ていないというのも非現実的であろう。もはやスマホの普及率は9割を越している。

 


ここで私はキマリのその後が気になるのである。それぞれ三人は自らの内在的な理由で南極観測隊に参加した。しかしキマリは「なんでもいいから成し遂げたい!」という言わば外在的理由で南極観測を達成した。

 


一体彼女は次はどこに行くのだろう?と一抹の危惧を覚えないでもない。

 


しかし一方で、彼女には満たされた家族も友人もいる。キマリは言わば帰ってくるべき基地がしっかりとある。仮に彼女が他者の視線を極度に内在化し、軽薄で無意味な冒険に出たとしても帰ってくるべき場所はあるのである。

オペラ《マノン・レスコー》と死について

オペラ《マノン・レスコー》を見た。

プッチーニが起死回生をかけてつくりあげた作品である。

 

恋と政治劇が絶妙に組み合わされた《トスカ》、カルチェ・ラタンを舞台にした《ラ・ボエーム》、儚く死ぬ日本人女性を扱った《蝶々夫人》といった名作を手がけたプッチーニにも不遇の時代があった。

 

プッチーニ1884年に初演をみるも、第二作目の《エドガール》でつまづき、上演を打ち切られてしまった。

 

次はないと覚悟を決めたプッチーニが目をつけたのが小説だった。アントワーヌ=フランソワ・プレヴォの小説である『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』のヒロイン、マノンが人々の心を惹きつける破滅的女性だと確信する。

 

プッチーニを支援するリコルディ社は他社との競合を避け、この原作に難色を示したが、プッチーニはこれに賭けた。結果、大成功であり彼は躍進の階段を駆け上る。

 

マノン・レスコー》の最後のシーン、ニューオリンズの荒野でデ・グリューと恋人マノン・レスコーが絶叫し、愛を誓いながら飢えて死ぬ。しかしマノンは「死にたくない」と叫ぶ。

 

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マノン・レスコー》(2014年2月ローマ歌劇場公演より) Photo:Silvia Lelli / TOR

 

豪華絢爛なイメージの強いオペラにおいて(《アイーダ》や《ドン・ジョヴァンニ》)《マノン・レスコー》の最後の簡素なシーンは戦慄すら覚える。

 

ただ茫漠としたニューオリンズの赤い荒野が延々と続き、無一文の男女が絶望的運命を享受する。

 

ヒロインが「死にたくない」と叫ぶ舌の赤々しい肉を見て、僕は脳裏に「死」というものを強く再考せざるを得なくなった。

 

僕が仮に荒野で一人さまよって死ぬとしたら何を最期に言うのか。

 

あなたが仮に荒野で一人さまよって死ぬなら最期に何を言いますか?

 

赤々しい荒野を見て、死をめぐる連想が一気に脳裏を駆け巡った。

 

入退院を繰り返した僕の幼少期。気管支が悪く、数ヶ月の入退院を繰り返した。どうもうまく生きるのに適してない、と漠然と思った。首の中を貫く喉という棒がうまく機能せず、コヒュー、コヒューと何度も呼吸が妨げられた。白い清潔な天井を見ながら僕は百合のような病床で過ごした。

 

マノン・レスコー》だけではない。

僕はいろんな作品を通して「死の練習」をしてきた、つもりだ。

 

『菜穂子』の穏やかな病死で、『魔の山』の勇敢な戦死で、『偉大なるギャッツビー』の破滅的な死で、『海の上のピアニスト』の沈みゆく死で、『ガタカ』の運命を引き受ける死で、『阿部一族』の自滅的な死で、『夜と霧』の不条理な死で、『うたかたの日々』の溺れゆく甘い死で、『沈黙』の絶望の果ての死で、『塩狩峠』の自己犠牲の愛の死で、『燃えよ剣』の信念の死で、『ボヴァリー夫人』の軽薄な死で、『蝶々夫人』の儚い死で、『パイドン』の知を愛する果ての死で、『女の一生』の救いのない死で、『オテロ』の悲劇的な死で。

 

いろんな方法で死をなぞってきたが、うまくいかない。何度なぞっても砂浜に描かれた花の絵のように、波にさらわれてなかったことにされてしまう。10代で近しい人の訃報を聞いたとき、そのときもどうしようもない足元の寒さを感じた。あれが死なのか。

 

人は死についてわからないから、わからないなりに想像力を巡らせて作品を作り続けてきた。いまだ人は死がわからない。死が怖い。

死が怖い。だからせめて死が何か、それを文字で、映像で、声で訴える作品を一つでも多くでも刻み込まなければならない。

 

福田定一は若いとき、満州に送られる兵士になるとわかったときから死ぬ練習をしたそうだ。

歩いてるとき頭上から岩が落ちてくる、と想像する。お前は死ぬが、それでいいか?と自分に問う。歎異抄を片手に。

 

彼は死ななかった。後に生きて司馬遼太郎と名乗り、国民作家と呼ばれるようになる。

 

そんなことを思い耽ってると《マノン・レスコー》の冒頭部分が頭のなかで流れてきた。

 

「教えてくれ、運命を

そして僕が恋に落ちる女性の面影を

僕が永遠に見つめ崇める神々しい面影を」

「二人で運命に打ち勝ちましょう」

 

彼らはニューオリンズの荒野で飢えゆく運命をどう捉えたのか。

 

悲劇の中で悲劇は繰り返される。デュマ・フィスの名作『椿姫』のヒロイン、マルグリット・ゴーディエがパタンと閉じた本には『マノン・レスコー』と書かれているのだから。

落合陽一さんの個展に行って

先日、しとしとと雨の降る中、落合陽一さんの「質量への憧憬」展に足を運びました。

 

ものすごくデジタルネイチャーに関心があるわけでもないけれど、巷で有名な人の個展に行けるなら行こうかなぐらいの気持ちでした。

 

とても良かったです。この個展だけで判断することはできませんが、落合陽一さんの感性に惹かれるものもあります。

 

人間が自然の中に芸術的な美を見出してきた一方で、この個展では科学技術や人為の偶発性の中の美を持ってきて、静かに広げた、そんなイメージを持ちました。例えば「虹玉虫」という作品。

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ちらちらとレーザーが走り、青く光る実験装置は、半径3メートルの世界しか世界ではなかった幼い頃の理科室での実験を連想させられます。

 

あぁ、科学はこんなに美しかったのか。

 

ただ個展を貫くものとしてノスタルジーが強く、決して未来志向というわけでもなく、広告看板の作品や電波塔の作品(写真を撮っておけばよかった…)に象徴される消費文化をさえも、ノスタルジーの中に回収し、それに芸術という名を与えるしかないのかと考えてしまいました。

 

落合陽一さんが飛び込もうとしている先の世界はおそらくネット、仮想、VR的世界であり、そこには連れて行けぬ質量たちー木の葉、古びた広告の看板、電波塔への愛着を感じました。連れて行けぬ申し訳なさ。存在の存在ゆえの悲しさ。

 

存在は存在しているから悲しい。

 

 

未来を予想するより先に未来が来る我々にとって、表現しうるのはうまい塩梅に甘くした過去であり、そこに縋りつくのはまるで寡婦が、戦死した兵士の夫を思い、膝を崩して伏して泣く姿のようでもあります。その意味で我々には未来がないかもしれません。

 

併せて「落合陽一の不気味さ」についても書きます。

 

個展の隅に配置された彼の言葉。

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関心のある人は拡大して読んでもらいたいのですが、彼は「能動的ニヒリズム」という言葉を使います。要は目の前に課題があればごちゃごちゃ言わず、持てる力を発揮して、全力で取り組む。それが「能動的」の意味だと思うが、一方で解決しても「何もない」と落合陽一さんは感じているのではないか。それがニヒリズムという語に接続される。解決しても解決しても理想郷は来ない。しかしただ進むしかない。そしてその先にあるのは社会科学的な、自然科学的な調和のとれた世界ではなく「社会彫刻」。

求道し、科学という彫刻刀で刻まれた芸術として形成された世界。

 

理想なき世界で、ただ目の前の課題という門の前で適応化し、突き進む世界の果てがなんなのか…燃え尽きてしまうかもしれませんね。

 

このまるで彼の「人工人工知能」のような言説がある人々に「不気味さ」を感じさせるのかもしれません。どこに向かってるんだ、コイツはと。

 

しかしこのような態度を貫く限り、落合陽一氏の言説を全て繋ぎ合わせると矛盾が生じ、自滅するのでは、と老婆心ながら思います。

 

でも、そもそも課題らが矛盾しているので、矛盾して当然なのです。高齢化に金を投じれば、少子化は止まらず、高齢者への支援を打ち切れば、少子化対策ができる、というふうに。落合さんが矛盾しているわけではない。矛盾しているのは課題を置き去りに、誤魔化し続けた昭和後期と平成。主語が大きすぎますね。

 

そんなことを思いながら僕は雨の中、しとしとと帰りましたとさ。雨のせいで脳内から言葉も垂れ流れてきました。だからここに書きました。

 

https://www.honzuki.jp/smp/user/homepage/no12090/index.html

書評です。

1920年代の再来

日経新聞で次のような記事が出されました。

 

「信頼できる」は自衛隊がトップ 本社郵送世論調査

 

「…逆に「信頼できない」が多かったのは国会議員で唯一5割を超えて56%だった。マスコミ(42%)、国家公務員(31%)が続いた。いずれも20歳代以上で「信頼できない」が「信頼できる」を上回っていた。国家公務員とマスコミは「どちらともいえない」が共に4割強だったが、国会議員は32%だった。

マスコミは「信頼できない」と答えた人の割合は70歳以上が20%台だったが、60歳代が34%、50歳代が41%、40歳代が47%で、30歳代では58%と5割を超えていた。18~20歳代は60%と最も多く、若い世代ほど「信頼できない」と答える人が多かった。」

 

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO40237230Q9A120C1905M00?s=3

 

「過去と現代は似ている」と断言するのは歴史を学んでいた者として、安易にするべきでないと思いますが、それでも僕はこの記事を見て1920年代を想起しました。

 

まず上の記事で国会議員が信頼できないとされていますが、政党を信頼できない時代だったのがまさに1920年代です。そしてこの不信感は来るべきアジア・太平洋戦争の伏線にもなります。

 

1920〜30年代の政党政治を分析した新書があります。ちくま新書から出されている「昭和戦前期の政党政治」(筒井清忠)は政党政治の成立から崩壊までを描いた新書です。

 

この著作では政党が国民やメディアの信頼を失い、代わって非政党的な存在である軍部や官僚らが台頭してくる歴史の道筋が鮮やかに描かれています。

 

ここで注目するべきは太平洋戦争への道のりをよく言われる「軍部の暴走」という面だけでなく「政党の信頼失墜」という面からも分析していることです。

 

下は引用です。

 

「田中内閣倒壊に際しては、『政党外の超越的存在・勢力とメディア世論の結合』が見られ、こうした結合がその後も続いたことが、「政党外の超越的存在・勢力としての『軍部』や『近衛体制(新体制)』を導き出すことになったことも忘れられてはならない。それが昭和十年代に拡大再生産されたことが太平洋戦争につながっていったのである。

さらにマスメディアの問題として指摘しておかねばならないことに、マスメディアが政党政治の批判をするばかりで、それを積極的に育成しようという傾向が乏しかったということがある。

いつも「断末魔」とか「末期症状」というような言辞を使った報道ばかりをして、「既成政党は腐敗している」「政党政治では駄目だ」という意識を国民に植え付けた最大のものはマスメディアであった。」(P282)

 

長い引用となりましたが、現代と酷似していると私は感じます。違うとしたら現代はマスメディアさえも信頼を失っていることです。ネットの台頭ゆえでしょうか。

 

今は自民党が一定の支持率を集めていますが、果たしてこの支持が盤石なものか、そして自民党が求心力を失ったらどうなるのか、想像するだけで恐ろしいですね。

 

政党政治への不信感の高まりが軍部や官僚への期待へと変わった戦前期。

現在、欧米では既成政党への失望からポピュリズム政治家や政党への期待が高まっている。しかしこういった政治家や政党がまたしても国民の期待に応えられなかったらどうなるのでしょうか?

 

非政党的な存在が期待を集めるとしたら今の日本では何でしょうか?財界でしょうか。ベンチャーの経営者たちでしょうか。技術者でしょうか。

 

個人的には昨今の落合陽一ブームはこういった背景もあるのではと愚考しています。

 

まずこういった状況の改善のために私が必要と思うことは3つあります。

 

①「一人一人の政治家」を評価するシステムの構築

マスメディアが報じない一人一人の議員のポジティブな面、実績をネットを通して伝え、国民もそれを評価するシステムが必要なのではと思います。インターネットがある現代なら不可能ではないと思います。

 

②国民の政治観の涵養

政治家自身が個々の実績をアピールすると同時に、それを評価する国民の政治観の涵養も必要でしょう。嘘やフェイクニュース、過剰なアピールを見抜く力も必要です。

 

③マスメディアの高度専門化

高度専門化した社会を分析し、それを国民に伝えるのはマスメディアの仕事ではないでしょうか。大手マスメディアはネットでは速さでは必ず負けるのだから、質で勝負するべきだと思います。具体的には大手マスメディアは修士、博士のみ採用ぐらいにするべきだと思います。

 

政党政治を否定し、安易に非政党的な存在に委任するのではなく、政党政治を補完するシステムが必要だと言うことです。ただかなり理想論を振り回しただけだと自分でも思いますが、正直これが限界です。

 

ただ思うのは果たして我々人間がこの社会を制御できるのではあろうか?とも思います。

 

経済成長、震災、原発、安全保障、農業、人口減少、社会保障、教育、雇用、労働環境…あまりに高度複雑化し、相互に絡み合い、スピード感が増してきた現代を人間が分析し、適切な手を打てるのでしょうか。なんだか私には現代社会の問題というのはシン・ゴジラが10体くらい日本列島を同時進行しているようにすら思えます。

 

かなり議論が飛んでしまいましたが、果たして世界や国家はこの大きさでいいのか?疑問です。

 

日経の記事を出発点に様々なことを想起しましたが、日本の未来は険しい道であることは変わらないようです。

 

「日本国中どこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何といったって、何をしたって、仕様がないさ。」
夏目漱石「それから」)

中学受験をしてよかったこと

以前「裕福な虐待」ということで中学受験についてややネガティブな記事を書きました。予想以上に多くの方に読んでいただき「あぁ中学受験って興味を持っている人が多いんだなぁ」と実感しました。そこでネガティブなことを書きすぎたというちょっとした反省と、また今年受験していく教え子たちを見ていると何か書きたくなり、公開する次第です。

 

中学受験をしてよかったことを感傷的に、しかしできるだけ一般性を持たせながら書き綴りたいと思います。感傷的は自分のために、一般性はこれを読み、中学受験を知りたい人のために。

 

なお前提として僕の母校は偏差値65前後の私立中高一貫校です。(雑誌「東洋経済」の「最難関大学合格者数」で30位以内の学校です。)

 

一言で良かったことを言えば「自由」です。

 

①自由な時間

高校受験がないということはそのぶん、ぽっかりと時間が少年少女たちの上にぽっかり落ちてくるということです。最近は受験指導のために時間を割く学校もあるのでしょうが、僕の母校はそこまででなかったような。もちろん宿題や模試はありましたが、やるかどうかは本人次第です。

 

僕の好きな小説に南アフリカの小説家J.M.クッツェーの書いた「マイケル・K」という小説があります。そのなかに「ポケットの外にあるような自由な時間」という表現がありますが、まさにそんな感じです。その時間をどう使うかは生徒次第です。(できるだけ親御さんには干渉してほしくないなと思います)

 

バンド、読書、プログラミング、スポーツ、美術…なんでもよいでしょう。できれば何かを生み出し、かつ没頭できることを思いっきりやるべきです。

僕は詩を書いていました。たまたまそれが全国的な賞をいただき、とても貴重な経験になりました。

 

今の時代なら起業や海外留学もいいかもしれません。

 

なにかを思いっきり生み出す。その経験は受験でもかなり役立ちます。

 

②高い教師陣

これも学校によりますが、やはり教師陣は高い能力、高学歴が多いです。ざっと先生たちの学歴を思い出すと東大修士、京大、慶應、早稲田…

学歴の高さと授業力の高さは比例はしなくとも、相関関係はあるでしょう。なにより受験の体験談をそのまま聞けるというのは貴重です。

またやはり教養豊かな先生の講義というのはおもしろいものです。振り返ってみれば先生たちの授業は一部、大学レベルの話までされていたような。

 

例えば世界史で「家内制手工業」「問屋制手工業」、「工場制手工業(マニュファクチャア)」「工場制機械工業」という産業革命の過程を習うと思います。僕は日本史の授業で「実は日本では江戸時代までに工場制手工業(マニュファクチャア)まで進んでおり、産業革命まであと一歩だった。」という話を聞いてなるほどと思った記憶があります。

 

 また僕が司馬遼太郎のエッセイを読んで「外務省機密漏洩事件」に関心を持って現代社会の先生に質問しに行ったら、山崎豊子の「運命の人」を紹介してもらい、さらに授業で扱ってもらい、おもしろく学ぶことができました。

 

詩を国語の先生に見せたら、新人賞をとっていた詩人のかたにつないでもらい、その先生を通じて詩の添削をしてもらいました。

 

すべてよい経験です。

そして既存の教科書から一歩出た知識を得るという「自由」を獲得する経験でもありました。人が知らないことを僕は知っている。僕の知らない世界に僕は行ける。その当時の僕はたぶんそんなことを無意識に感じながら先生と話していました。

 

ここに書いたことはおおむね多くの私立に当てはまるのではないでしょうか。

 

また親御さんとしては「高い学費払っているんだから勉強してよ」と思うかもしれません。

が、入った学校は全員が受験に合格した子たちです。公立に比べれば校内順位を上げるのはなかなか難しいのではないのでしょうか。

僕の感覚ですが、「入学以降かなり真面目に勉強している」は1割、「まぁまぁ真面目」4割、「真面目と不真面目の間」5割かな。とくに中3、高1は僕自身勉強した記憶はありません。

(僕は文学と歴史書に没頭していたので、国語と社会は特に勉強しなくても高3で偏差値70をキープしていました。その反動で高三では数学と英語に悩まされましたが)

 

しかし高2の後半、高3になるとスイッチが入り、多くが必死に受験勉強し難関大学に合格します。浪人しても東大や医学部、早慶、マーチに受かっていきます。

 

大切なのは高3までに受験のエンジンをかけられるような基礎学力づくりです。高2までで切羽詰まって成績を上げようとしてもあまり意味がない気がします。

僕は勉強しなくてもいいと言ってるのではなく「基礎学力」は必要だと言っています。

数学の公式とその証明、英単語と英文法(丸暗記ではなく論理的に理解したうえで)、国語は漢字や社会科学のワードの理解。これらは必要です。

 

また思いっきりやりたいことをやってから受験勉強に打ち込んだ方が、子供の集中力は上がると思います。やりたいことをやらせてあげてください。子供は思いっきりやる代わりに、やったら勉強してください。

 

子供を無理に管理してるとヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の主人公みたいに死にますよ。