大学生による大学生のための政治入門②間違ってもええんちゃう?
政治といえば選挙である。選挙とは我々国民が議員たちを雇ったり、解雇することができる絶大な権利だ。多くの議員たちはこの選挙にふるえている。
僕はとある国会議員のインターンを数ヶ月したことがあるが、議員さんとはほとんど会えなかった。議員さんは常に東京と選挙区を行ったり来たりして支持者と話しているようで、永田町の議員会館でお世話になったのは秘書の方たちだ。それくらい議員は支持者を大事にしているし、選挙は怖い。
国政選挙は自民党が勝つのでおもしろくないかもしれないが、そんななかでもやたら選挙に強い野党議員もいるし、地方選挙では自民党が負けることもある。2017年の東京都議会議員選挙(定数127)では都民ファーストの会(小池都知事がつくった政党)が告示前の6議席から55議席へと圧勝した。一方で自民党は告示前の57議席から23議席と半数以下に落ち込む歴史的な敗北を喫した。
よく聞かれる学生の悩みとして「正しい選択をできる自信がない」という悩みだ。いろんな候補者がいるなかでどんな主張をし、どんな人物かわからないという。
清田雄治さんが行なった愛知教育大学におけるアンケートでも棄権した39%の学生の棄権理由として
1 政治や選挙に関心がない
2 選挙の争点や政策をよく知らない
3 政党や候補者をよく知らない
が約3分の1の割合を占めている。
…いや、普通にわからんでしょ。わかるまで待ってたら選挙行けなくないか?そもそも正しい選択ってなに?
と僕は思ってしまう。
確かに選挙権は重要で重い権利だ。その重さゆえにぶん投げたくなる気持ちもわからなくはない。しかし安心すべきことに選挙権は18歳以上なら日本国民全員に与えられている。過度に重く感じる必要はない。
この「自信がない」という心配は「結果にこだわりすぎ」ということだろう。もっとプロセスに目を向けても良いのではないか?
僕は別にみんなが無理して選挙に行くのが良いとは思わないし、ましてや義務投票制もあまり賛成できない。ただ「正しい選択」というありもしない概念に惑わされて、行使されない選挙権を見るともったいないなぁと思うのだ。
結果だけでなくプロセスに目を向ける試みとして、ルソーの思想を引用したい。
ルソーは1712年ジュネーブで時計職人の子どもとして生まれる。ルソーが生まれた直後に母親が亡くなったことが彼の思想に影響を与えているという。「人間不平等起源論」「エミール」「社会契約論」「孤独な散歩者の夢想」など書き上げ、政治、文学、教育などの分野で大きな影響を後世に与えた。
また「告白」と言う自伝のなかで自らが露出狂であると述べている。
ルソーの影響の大きさを示すエピソードとしてジャコバン派による改葬があるだろう。フランス革命の主導権を握り、恐怖政治を敷いたジャコバン派は、ポプラ島に埋葬されていたルソーの遺骸をパンテオンに移送し、改めて葬ったという。これは諸党派がルソーの思想を誰が取り込むかという争いをするなかで、ルソーの遺産を受け継いだことをジャコバン派政府が示したかったと言われる。
ルソーは有名な「社会契約論」で「一般意志」について述べる。
一般意志とは「国家の意志」であり、その特徴として「国家すべての成員の幸福を目的とする」意志である。一般意志は「共同の利益を目的」する。これは全員の個別意志が一致したに過ぎない「全体意志」とは異なる。
この一般意志の現れが「法」だと彼は説く。まさに人民主権の思想だ。
そしてルソーは「わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれる」という。
例えば働く人々の労働時間や解雇について定めている労働法を制定、改正するときを考える。ある人は「解雇規制は今まで通りにすべき」と言い、ある人は「解雇規制を緩めて、労働力の流れをつくるのが大切」だと言う。あるいは「養う家族のいない独身者の解雇は緩くすべき」と述べ、「低所得者は解雇規制をしっかりするべきだ」と言うかもしれない。これらの意見の「違い」が「一般意志」を生むとルソーは言う。「わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれる」という。意見が違えば違うほど市民は問題を正確に認識し、真の利益を知るという。
ここでルソーはおもしろいことを言っており「人民が十分な情報をもって議論を尽くし、互いに前もって『根回しをしなければ』(筆者強調)、わずかな意見の違いが多く集まって、そこに一般意志が生まれるのであり、その決議はつねに善いものであるだろう。」と言う。
根回しをし、「徒党を組む」と「意見の違いが少なくな」り「意志の一般性も低くなる」という。
ネットやツイッターでは政治にお詳しい人たちがワーワー言っており、なにが正しいかわからない。なにか政治的意見を言えば、ツイッター政治警察が飛んできてクソリプを飛ばしてくる。
はっきり言ってそんなの無視すれば良いのだ。徒党を組む前に、個人として考える。餌を与えられる金魚のように「意見」を与えられるのではなく、個人としてできるところまで考える。そして「意見の違い」を大切にしてみる。もっと個人の率直な意見を大切にするべきだろう。(もちろん事実誤認や勘違い等は訂正しなければならない)
日本人は異様に意見を持つことを恐れすぎている。同時に意見を持つ人間を恐れすぎている。息苦しいことこの上ない。
自分で情報をできるだけ多方面から集め、自分の頭で考えた意見をもとに投票する。そして投票日の夜は選挙特番を見ながら「俺がこいつを当選させてやった」とニヤニヤすればよいのだ。
ではどうやって意見を集めればいいのか。
そのうち、僕なりの「情報の集め方」や「政治的意見を批判されること」について書きたい。特に後者は演劇と絡めて述べたいと思っている。
なおルソーが唱えたのは直接民主制であり、間接民主制の日本にルソーの思想はそぐわないといった批判や一般意志も批判の対象となっているのは承知である。しかしルソーの影響で民主主義理論が生まれたことは確かであり、彼の思想を参照にすることに全く意味がないとは考えない。むしろ民主制のプロセスに光をあてるならルソーの思想は大いに参考になるのではないか。
ひとまずここで筆を置く。
次回は政治じゃなくて文学について書きたい。
参考文献「社会契約論/ジュネーブ草稿」光文社古典新訳文庫 中山元 訳
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